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小石原焼の特徴
小石原焼の技法
小石原焼の歴史
筑前の国(福岡県)に「やきもの」の里ができたのは約400年前です。
元録元年(1592年)
黒田長政が豊臣秀吉の命令で朝鮮出兵(文録・慶長の役)した時に出会った陶工八山を日本に連れてきたことから始まっています。
慶長5年(1600年)
八山は黒田長政が関ヶ原合戦の手柄により筑前国藩主になると鞍手郡高取山麓(直方市)に窯を造りました。
そのころこの地にちなんで、姓を高取、名を八蔵に改めました。
その後、鞍手郡内ヶ磯(直方市)、白旗山(飯塚市)と窯場を移し寛永5年(1665年)に上座郡鼓村(現 小石原鼓釜床)に窯を開きました。
なぜ小石原が窯場になったのでしょうか?
小石原焼は正確に言えば高取焼と中野焼(こちらが一般に言う小石原焼)の2種類がある。
高取焼の方が歴史が古く鼓釜床に窯場が移ってきたのは、1665年頃と考えられています。
日常に使う食器類は全国的に陶器から磁器に変わり始めていました。
陶器でうすくしゃれた京焼や白化粧土による刷毛目装飾を陶器を施した現川焼のような食器類は全国市場に磁器と共に出回っていました。
自藩でも磁器生産などをめざし白旗山窯の頃から藩内で集めた土、薬石の試焼きが行われ、赤谷石(朝倉氏杷木町赤谷で採れる長石)と小石原の粘土が陶器に適していたためここが選ばれたと考えられる。
小石原の粘土は白旗山窯で完成された遠州高取とよばれる茶陶を造るのに適した土であるとともに前述の陶器類や磁器を焼くことができることからこの地に窯場が造られました。
中野焼(小石原焼)の始まり
寛文9年(1669年)に小石原中野(皿山)に粘土と釉薬を見つけ擂り鉢や甕、片口、徳利、壷などを焼いた。
天和2年(1982年)伊万里の陶工を招き大明(中国)の製法に習い磁器を焼いたりしたが小石原の粘土がこれらの製法に合わず、陶工達が小鹿田(日田市)や西皿山(福岡市早良区)に技術を持って移ったりした残った陶工達は技術を入れて高取焼に習って小石原の粘土にあった生活用品を作った。
これが現在の小石原焼の起源であると思われる。 小石原焼はそれまで伝わってきた技術と原料(共同所有の陶土山、長石山)燃料(山林に囲まれていた)に恵まれていた事、山奥で自給自足ができ半農半陶で生活ができた事などの条件の下、今日まで続いてきました。
今は、小石原焼と言っていますが陶器ブームが起きる前は、中野焼と言っていたそうです。
中野とは皿山地区の小字名です。
(有)柳瀬本窯元 〒838-1601 福岡県朝倉郡東峰村大字小石原790
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